2014年9月30日火曜日

Domingo

28/9/2014

日曜日。
サルヴァドールに来て一週間が経過。
もう一ヶ月くらい滞在している気分がする。

フィールドレコーディングをMonoチャンネルで録っていたことに気付き、
もう一度録音しに昨日の街に歩き出る。

店が一つも開いていない。
ブラジルという国は日曜日は完全にオフの国らしい。
人気のない街はどこかサウダージを感じさせる。
カエターノ・ヴェローゾDomingoという曲を作った意味が少し解った。
彼もこの街で育ったのだ。

人通りが少ないのもあって恐くなったのでサンドイッチを食べてすぐ帰路につく。
ハムとサラミの味しかしなかった。


マンションのパークスペース(寛ぐ場所)で木を眺める。
南国の木を眺めながら物思いに耽る。



南国特有の木。
この木には節がある。節が少し上を向いている。
暑い地域のため、きっとより多くの水を吸収する為に節を持ったのであろう。
生きるために生態系が変化していく。
環境は命を変化させる。
私もこの国に居れば何かが変化していくのであろう。


する事がないのでギターを弾いて酒を呑む。
酒に呑まれては眠る。
目が覚めては酒を呑む。
ギターを弾いては酒に呑まれて眠りに落ちる。
日本にいる生活と何ら変わりない。
ブラジルという大国も私を変えることは出来ない。


2014年9月29日月曜日

27/9/2014

今日は土曜日なので学校は休みである。
Takeyaさんが街を散歩しようと言うので出かける。
朝から海を眺める。



初めて行く方向。
どうやら私が今まで徘徊していたのは住宅地だったらしく、
今日初めて賑やかな街に進出したのだ。


弥栄氏が日本を発つ時にレコーダを持たしてくれたので街を録音しながら歩く。
秋葉原の電気街のような中国製品のお店で安いイヤフォンを購入。
箱から商品を出すと早くもケーブルがもげかけていた。
安いものには理由がある。

違うお店で録音データを吸い出すためにSDカードリーダを購入。
4レアル(約200円)と以上に安い。
こちらは何も問題なし。

街にはワールドカップの名残が少しあった。



海沿いの美術館に行くが改装中で中に入れなかった。
しかし館を眺めるだけでも気持ちのいい処だった。


ブランコで遊ぶ。



館を抜けると小さなファベーラが見える。



美術館を出るとサッカーボールを持った子供達に話しかけられる。
「ポルトガル語話せるの?ねえ、中国語教えてよ」
「ははは、坊や、私は日本人だよ」
「じゃあなんか日本語教えてよ」
「Oi,は日本語でこんにちは、というのだよ」
彼らはこんにーちわ、こんにーちわ、と言いながら去っていった。
少しだけではあるが普通に会話できたので感動してしまった。

と格好つけて書いたが実際には
「ポルトガル語話せるの?中国語教えてよ」
「う、うん、ち、ちょっとだけね。
 (あー中国がどうとか言ってるな)に、日本人、日本人」
「じゃあなんか日本語教えてよ」
「こここんにちわ、おい、え いぐあう」
という具合だったと思う。
ブラジルの子供たちは声がとても好い。

ブラジルでは一週間後に大統領選挙がある。
街は選挙の看板、張り紙で一杯である。
ブラジルの政治はかなり問題があるらしいのだが、
選挙で音楽を演奏したり使用する習慣は日本も見習った方が良い。
TVコマーシャルの演説も凝っている。



昼はレストランでアカラジェを食べる。
7レアルで胃にものが入らなくなる。
Takeyaさんは本当によく歩く。
今日は10kmくらいは歩いたのではないだろうか。
4件ほど郵便局に連れて行ってもらうが全部閉まっていた。
場所はわかったので月曜にもう一度行ってみようと思う。

夜はMarleneさんがラザニアを焼いてくれた。
美味。いつもありがたい。


歩き疲れたのと満腹感が私をあっという間に眠りにつかせる。
今日は満腹、満足というポルトガル語を覚えた。


2014年9月28日日曜日

手紙

26/9/2014

今日で学校に行き始めて最初の一週間が終わる。
リスニングの授業を行うが大変困難な作業である。
どうすれば聴こえるのか、音が拾えるのか試行錯誤する。
まずはボキャブラリを増やさない事には始まらない。

ブレッドとはすっかり仲良くなったが、スイス人も交えて三人で会話していたところ
このスイス野郎はポル語を放棄して英語でブレッドと話し始めた。
ブレッドが「シンが解らないからポルトガル語で話そう」と言っても
このスイス野郎は英語を止めない。
先日登校中に傘に入れてやった恩を忘れていると見える。
こいつは肌が真っ白で、それだけじゃ満足できないのか睫毛まで白い。
白スイスと命名した。

今日イザベラは食べ物の名前をたくさん教えてくれた。
彼女は補講中、常に時計を気にしている。
適当に時間を潰す術を探しているのだ。
こいつには食いもんの名前でも教えとけばええか、という魂胆であろう。
私がもっと話せるようになったら間違った日本語を教えてやろうと思う。


帰り道、ついに文房具屋を発見する。
なぜかボロボロのBINGO用紙が売っていたので購入。



帰宅後に手紙、葉書を書く。
私は手紙を書くのが好きだ。
フランスなどに宛てた手紙は届いたが、
はてブラジルという国はきっちりと届くものであろうか。



夜になるとサンバ、レゲエ、ハウスなどが窓の外から聴こえてきた。
マンションのすぐ下の道路でバイーア大学の祭りが行われている。
流石はブラジル、大変豪快な音量である。
ここは13階というのに家の中の音楽よりも祭りの音楽の方が遥かに大きい。
窓の外から大音量で聴こえるというのも風情があってよいではないか。
そう思っていたのだが夜も11時を回ったというのに一向に音は鳴り止まない。
日本だとPTA、警察、政治家が動くレベルである。
知人と電話していたのでその音量の証拠は残っている。

久しぶりに泥酔して眠りにつく。

2014年9月27日土曜日

vocabulário


25/9/2014

学校4日目。
最初は速過ぎて何を言ってるのかわからなかったが、
所々とだんだん聴き取れるようになってきた。
vocabulário(単語)が鍵を握る、と思い
暗記という行為に初めて向き合う事にした。

今日もブレッドと会話する。
聴けば彼はグラフィックデザイナーでギターが趣味なのだと言う。
音楽も彼の故郷ワシントンD.C.では偏った好みの人が多いらしいが
彼はジャンル問わずなんでも聴くのだという。
そしてブラジル音楽が好きらしい。
私の趣味など何も話していないのに私にBaden Powellが好きなんじゃないの?と的中させる。
彼が素晴らしい感性を持ってしてブラジルという国に来たのだという事を
私は最初から信じて疑わなかった。

授業中、あき竹城似の先生がノーブラだったので授業に集中出来なくなる。
性的興奮で、ではなく乳輪の大きさが面白くて仕方なかったのだ。


今日も奴がやってきた。
イザベラだ。
今日はあくびばっかりしていやがった。
悔しいが私が知らない単語をジェスチャーで教える時だけは可愛い。
今日はお互い色々質問したのだが、コイツが料理出来ない事だけはよくわかった。
寿司が好きらしい。
私が回転寿し屋でアルバイトをした事がある、と話すと
作って欲しい、というので恨みの分だけ山葵を入れてやろうと思った。


帰り道、壁の落書きを鑑賞。


夜、Takeyaさん邸にMarleneさんの友人(豪快なおばはん)が訪れる。
この人のおかげで久しぶりにお腹痛くなる程笑った。
曰く、彼女はiPhoneを水没させて電話の調子が悪いので私に看て欲しいとのこと。
iPhoneにはスワイプというが機能があるのをご存知だろうか。
普通スワイプというのは指や手首の可動範囲で行うものなのだが、
この方は腕全体でスワイプする。
スワイプ時の腕の可動範囲が1mくらいある。
ブラジルには親しい人の両頬にキスをする習慣があるのだがおもいっきり吸い付いてくる。
彼女の音をレコーディングしたのでいつか採用したいと思う。

その後日本の知人と電話をする。
久しぶりに日本語をたくさん話す。
LINEという文明に感銘を受ける。
安堵が私を眠りに導く。
久しぶりに好い夢を見た。

2014年9月26日金曜日

慣れてきた

24/9/2014

語学学校三日目。
姉から久しぶりに連絡があり色々やりとりする。
そもそも語学学校というものはその語学で授業するものなのだと教えてもらう。
私は無知だったのだ。いささか恥ずかしい。

冠詞。最初は難しかったが理解すると
なるほど、言語とは実に面白いものだなと関心する。
ポルトガル語や英語の冠詞は形がはっきりしていて解りやすいが
外国人が日本語の冠詞の概念を理解するのは困難であろう。
日本語の冠詞については色んな見解があるのでご興味を持たれた方は
色々調べてみると面白いであろう。
ともかく冠詞の概念は日本で勉強していなかったらきっと理解できなかっただろう。
と自分を褒めて英語が話せないコンプレックスを乗り切る。

昼休み。
性懲りもなく昨日のハゲが話しかけてきた。
昨日は英語だったが今日は一生懸命ポル語で話してくる。
私はポル語の方が理解できるので割とコミュニケーションできた。

授業を受けているとあき竹城似の先生が
「シン(私の字名)、あなたの眼鏡はレンズが入ってないのね。おかしくて可愛いわ」
と私を笑っていると先ほどのハゲが
「先生、彼はアーティストなんだ」と一言放った。
先ほどは音楽や芸術の話などはしていない。
日常会話しかしていないのに私の神髄を見抜くなんて、なんていい奴なんだ。
私は彼をハゲと心の中で呼んでいた事を悔いた。
彼はハゲではなく、ブレッドという高明な名を持っていた。

補講授業。
今日もまたイザベラはしんどそうに教える。
昨日の呪いが効いたのか、鼻炎で苦しんでいる模様だった。ざまあみろ。
今度は私に課題をやらせている隙に携帯ばっかりいじくってやがった。
おもいっきりしゃくれて生まれ変わるように呪ってやった。


今日はこちらに来て初めて雨が降ったので家に直帰。
Marleneさんは日本語を話せないがポル語をゆっくり話してくれて優しく私に教えてくれる。
料理も大変美味しい。未だこれは苦手だ、という料理は出ていない。
Marleneさんじゃなかったら日本食が恋しくなっていたであろう。
早く話せるようになって色々な話をしたい。



おとなしく夜までギターを弾いて2曲つくる。
異国でギターを弾くのも風情があってよろしい。
今日は銃声も聴こえないので安らかに眠りにつく。



ひとり歩き

23/9/2014

語学学校2日目。
どいつもこいつも訳のわからん言葉を話しおる。
授業は自分の知識もあってか今のところはほとんど理解できとる。
ただ細かいニュアンスが質問出来ないのが腹立たしい。
英語圏の白い阿呆どもは調子に乗ってどんどん英語で質問しとる。
どうせ阿呆な質問しとるんやろな、と思って孤高を貫く。

昼休み。
白人のハゲが英語で話しかけてきた。
うん。ようわからん。
って言ったら両肩を上げて会話になれへんってジェスチャーされた。
俺の伸ばした髪を切ってコイツの頭に切り餅で貼ってやろうかと思った。

俺は一人だけ授業のコマ数を多くとっとる。
ポルトガル語をだいぶ忘れとるっちゅう事も最初から計算済みやん。
補講で教えてくれる先生がイザベラっちゅう所謂南米美人なんやけど、
この女、全くやる気がなくて
「なんでこいつ英語喋られへんねん、言葉通じひんのに教えるのしんどいわー」
って顔でため息つきながら教えよる。
どうか来世ではあき竹城のように生まれ変わりますように、と呪ってやった。


帰り道、初めて一人で街をぶらつく。
坂の多い街だ。


ショッピングモールみたいなところに行ってみるが
日本のショッピングモール以上に何もなかったので更にぶらつく。
細い道を通るのが恐い。
私の警戒心は半端ではない。
心眼が開花しそうだ。

本当は小さなお店に入って一杯やりたいのだが
何分まだうまく話せないので勇気が出ない。
2時間程歩いて結局家の近くの小さなマーケットに行く。
しかし一人で買い物するのも初めてだ。

ウィスキとビールを手に店内をうろついてると
黒人の店員さんがカゴを持って来てくれた。
というかサルヴァドールの住人はほとんど黒人である。
煙草を2箱を追加して買うと店員さんは親指を立てて見送ってくれた。
しかも先日書いた物価とは裏腹にやけに安い。
ウィスキ(900ml)とビールと煙草2箱で1500円くらいだった。
まだレアルの価値観、物価が掴めていない。

ブラジルのLUCKY STRIKE。
裏面はグロい。



サルヴァドールには(まだそんなに探索していないが)コンビニがない。
雑誌は路上の雑誌屋、本は本屋、スーパーには食料品とわずかな生活品のみ。
日本のようにあれこれ売ってる店を見ていない。
100円ショップみたいなの造ったら流行ると思う。
文房具屋に行きたいのだが文房具屋というものが見つからない。
あきらめて帰路につく。


この日はMarleneさんがピザを焼いてくれた。
サルヴァトーレ顔負けの美味しいピザだった。



復讐心を胸に勉学に集中し、
あのハゲとイザベラを呪いながら眠りにつく。


2014年9月25日木曜日

ペロウリーニョ広場

22/9/2014

今日から私は久しぶりに無職を離れ、異国の地で学生となる。
Takeyaさんが朝、学校まで歩いて導いてくれる。

語学学校へ着くと空港に迎えに来てくれて私を誘拐しようとした黒人がいる。
彼は立派な社会人だったのだ。
散々疑って申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

彼と少し話した後、面接的なものが行われる。
語学力ごとにクラスを分けるためだ。
私は学生時代、優秀だったので自信満々で面接を受けた。

なぜか私は一番下のクラスの授業を受けていた。
面接を行った先生がポルトガル語と英語でしか私に質問しなかったのが原因と推測される。


薄々感づいていたのだがこの学校ではポルトガル語と英語で授業が行われるようだ。
しかもポルトガル語を習いに来ているのに基本的にはポルトガル語で授業は行われる。
語学学校とはそういうものなのだろうか。
学生は国籍がバラバラで、アメリカ、カナダ、スイス、ドイツ、フランス、イギリスなど。
日本語を話せる人が先生にもいない。

しかしこれは覚悟していた。
私は耳を鍛えに来たのだ。
これほど人の話す発音に耳を傾ける事は赤ん坊の時以来だろう。
これでいい。
私はとんでもなく頭が良いので解決策を知っている。


担任の先生は、あき竹城をブラジル人にしたような人で、
ポルトガル語のスピードを授業でも落とさない。
英語力もそこまでないので他の生徒が英語で複雑な質問をすると
ストレートに「何言ってるの?わけわかんないわ?」と突き返す。
これには他の生徒もいささか困っている。
私はかつて一年ほどポルトガル語を習っていたのでまだ少しだけマシだが
隣のドイツ人の方なぞは今回初めてポルトガル語を習うようなのでかなり参っていた。

一日目の授業が終わると他のクラスの生徒も集まってみんなで自己紹介をする。
名前、出身、仕事など。
私が「Eu não posso falar inglês.(私は英語が話せません)」
と流暢なポルトガル語を話すと、先生生徒全員から笑われた。
皆英語は話せるのだ。なんで英語喋れないのに来たのだという感じだった。
全員のもみあげを引っ張って一つに結んでやろうかと思った。
何かが私の中で燃え始めた。


家に戻るとTakeyaさんがペロウリーニョ広場へ行こうと言いだした。
私が一番サルヴァドールで行きたかった街。
歩いてでも行けなくはないが割と時間がかかるので初めてのバス体験。
いきなりトラブル。しかし文に起こしにくいので割愛。
バスは手すりに摑まってないとかなり危険。
スピード過剰、急ハンドル急ブレーキ当たり前。
しかしどこまで行っても3レアルと安い。

バスを降りて心が躍った。
写真で見た時から惚れ込んでいたが想像以上に素晴らしい。
そしてその区域が広い。2,3時間ほど散歩していたが全然飽きない。





しかしそのパステルカラーの家の6,7軒に1軒は警察だ。
観光地では街の警備が半端じゃないらしい。

大きな教会が10棟くらいあった。
この教会の階段には犬の糞がたくさんころがっていた。



ブロコアフロの練習を見る。
指揮者の携帯に電話がかかってきて中断。
少し萎える。



港町でもあるので高いビルから海を眺める。



たくさんのラスタマンを見た。
私はラスタではないがここに住みたい。
日本ではラスタに間違われるので住めるのではないか、などと妄想する。

暴走バスに乗って帰る。
今日もMarleneさんが美味しいブラジル料理を作ってくれる。

来て未だ2日間というのに濃い経験をさせてもらった。
またまたTakeyaさんに感謝しながら眠りに落ちる。
もしかして今日が夢ではないかと思いながら。



2014年9月24日水曜日

初日

21/9/2014

私は何故彼の車に乗っているのだろう。
語学学校を斡旋した会社など全てグルで私は高いお金を払って奴隷になりに来たのだ。
愚か者なのだ、世の中のことを何も知らない愚か者だったのだ。

そう思った時だった。
見覚えのある集落が見える。
私は恐る恐る、彼にあれはファベーラかと尋ねた。
そうさ、と返事が返ってきた。
やはり私はこれから貧困街に売られて過ごすのかと思っていたら彼は言う。
これから先はもっと巨大なファベーラがあるというのだ。

そこにそれはあった。
私はこんなに美しい光景を見た事がなかった。
33時間の悪夢の疲れなど忘れていた。
シャッターをきってはみるが何せ彼が100kmほどで車を飛ばしているので
その感動は写ることはなかった。

彼に「ふぁ、ふぁべーら、くいだーど?(ファベーラはきけんですか?)」
と聞くと鼻で笑いながらそんなことないよ、と応えた。
確かに人もたくさん歩いているし子供達も信じられない巧さでボールを蹴っている。
美しさに見とれているうちに彼は私を空港からホームステイ先までの25kmを15分で運び出した。
そこはファベーラではなく、警備員付きの高層ビルだった。
ステイ先のTakeya,Marlene夫妻の人相の良さに心が落ち着いた。
永い、永い夢が醒めたのだ。


早速Takeya氏がBarraのビーチを案内してくれるという。
日曜日という事もあってビーチの近くは黒人で溢れている。
すれ違うどの黒人にも喧嘩で勝てる気がしない。
ぶつかりそうになれば私は全力で道を譲る。

Takeya氏は日系人で少しだけ日本語が話せる。
60過ぎの優しいおじさんだ。
歩くスピードや話すテンポが私と合う。
恐る恐るファベーラやこの辺はどのくらい危険なのか尋ねてみたところ、
全然昼間は大丈夫だと言う。
よく見ると陸軍のような服を着た警察があちこちに配置されている。
延々と美しいビーチを歩く。
が夜はビーチは大変危険な地域らしいので行かないようにと教えを乞う。






昼食。バイキング式のようなレストランなのだがシステムがよくわからない。
一皿7レアル、と書いてあるが最後にグラムを計って最終的に決定した値段を支払う。
というかTakeyaさんが奢ってくれた。お肉と豆はやはり美味かった。

帰りにスーパーマーケットによる。
そこで私は驚愕の事実を突きつけられる。
酒が高いのだ。これは致命的だ。安いビールでも200mlで100円ほど。
ドイツ産のビールなど200ml/19レアル(900円)する。
ワイン、ウィスキーなど全て高い。
よく店内を眺めてみると日本より若干物価が高い気がする。
厳密にいうと生活品はそんなに変わらないのだが
私の場合は日本の口座からカードで支払うのでレートより高くなるのだ。
厳密にまだ計算していないが塵も積もればなんとやら。
しかし酒は確実に日本より高い。
私が一日にどれだけ酒を呑むと思っているのだ。
これはいかん、散財の予感、滞在期間に響いてくる。
計画を練り直さねばならないかもしれない。
(この時点ではまだ一カ所でしか買い物してません)

夕方にMarleneさんがブラジル料理を作ってくれる。
まだ料理の名前を覚えてないが10品くらい出してくれて全て美味だった。
胃が満たされると飛行の疲れが押し寄せてきて部屋に戻る。
もう陽は落ちている。

うつらうつらとしていると遠く街の方からとんでもない爆発音がする。
初日にしてとんでもなく恐い。泣きそうだ。
と思っていたらTakeyaさんが外へ出かけよう、などととんでもない事をぬかす。
こっちの方は大丈夫、と言ったのが銃声とは逆方向だったので
なんとかTakeyaさんにくっついて行く。
私を連れ出したのは今日はゲイのお祭りが行われていて、ライブなどがあるらしい。

公園にステージが組んであってDJがいて若い黒人が狂喜乱舞している。
ビールやマリファナを持った平均身長180cmくらいの黒人たちが踊り狂っている。
恐い。早く帰りたい。

バンドが出て来て演奏が始まった。
もの凄い音のデカさ。まずPAが凄い。
絶えず卓でハウリングギリギリの音をコントロールしている。
そして演奏が凄まじい。音符の造りは普通のアフロファンクなのだが、
グルーヴが半端ではない。
日本人には絶対演奏出来ないと個人的な見解。

Takeyaさんが前の方へ私を連れて行く。
いや、私は音楽には感動したが、ゲイ達が踊り狂っている最中に飛び込みたくない。
Takeyaさんは狂乱の中、踊りもせず棒立ちで黒人達にもひれ伏さない。
演奏が盛り上がって客達はカポエイラをし始めた。
カッコいい。知らぬ人同士が入れ替わり立ち代わりでカポエイラを踊る。
この客文化は日本で流行るかもしれない。

しかし恐い。横でゲイや200kg程の女性やらがキスしながら踊っている。
ホームレスのような人やビール売りの人まで全て恐い。
やがて恐怖によって音楽にすら集中できず、私は黒人に完敗した。

演奏が終わりようやく帰路につく。
帰路の途中、どうだったかと聴かれて音の感動を伝える。
するとTakeyaさんは「私はああいう音楽が嫌いなんだよね」と言い放った。
好きでもない狂喜乱舞の黒人達の中、
最前列で仁王立ち出来る日本人は他にいないだろう。
きっと私の為に連れ出してくれたであろう事に感謝しながら眠りについた。
永い一日が終わった。

2014年9月23日火曜日

序章

20.9.2014

羽田空港。
日本人も多い。
まだ不安はない。
よもやこれから33時間も移動する事になるとは知らずに。


フランクフルトを経由するために羽田から11時間ほどの飛行。
開始1時間ほどで軽食を差し出される。
ちなみに羽田で友人と美味しくない串カツを腹に入れたばかりだ。
胃が気持ち悪くなった時、私はすぐに眠りに落ちる、、
しかし2時間程で目が醒める。
私は安部公房著『砂の女』を読み始める。
小説とはこういうものか、そう思いながら夢に堕ちてゆく。
私は夢が小説なのか、小説が夢なのか判らなくなっていた、、

何時間が経過したのだろうか。
まだ空を飛んでいる。
定期的に差し出される白ワインのみが私の退屈を紛らわせてくれた。
『ビーフorチキン?』という声が遠くから聴こえる。
この飛行船に乗っている全員がビーフと答えると、
果たしてビーフの在庫はあるのだろうか、
はたまたその際には余ったチキンの運命はどうなるのだろうか、
などと思考を凝らしてしまう。
志ある私は『チキン』と応えた。
また眠気が襲ってくる、、

未だ私は閉じ込められている。一体どういうことであろうか。
実はこの船は飛んでいないのではないか、などと疑問を抱いてしまう。
そろそろ20時間は経つはずだ。
そもそもずっと座っている人間がそうそう簡単に腹が空くものか。
私はここで飼い殺されるに違いない。
乗っている人も皆騙されているのだ。
今こそ救世主とばかりに我叫ばん、そう思った矢先に
「まもなく着陸態勢に入ります」というアナウンスが流れた。


フランクフルト空港に降り立つ。
ドイツ降り立ってすぐの喫煙所はCAMEL。日本の喫煙所はメビウス。
なぜ日本はCAMELを売らない。
だからマイルドセブンをメビウスなどと命名するほどに感性が鈍ってしまうのだ。
CAMELの広告、洗練されたデザインの空港、ヨーロッパ人に囲まれた私。

感涙を受けた。
なぜなら空港で搭乗口を尋ねるものの出会う人間全てが何を言ってるのかわからない。
私はパンクロック時代に培った得意のステージングで2m程のドイツ人に案内させる事に成功した。

フランクフルトからサンパウロまでまた11時間ほど要するらしい。
やはり私は悪い夢を見ているらしい。
わざわざ高い金を払ってなんでまたこんな思いをせねばならんのだ。
しかし乗りかかった船というものは引き返せない。
仲間に包まれては酒を浴びるように呑んでいた日本に帰りたいと何度も思った。
しかし帰るにはまた悪夢を二度見なければならない。
私は六道輪廻に堕ちていた、、


サンパウロに降り立つ。
治安の悪い国など温々と生まれ育った私には未体験ゾーン。
ここが重要だ。
しかし入国審査では褐色の女性から満面の笑みで「ウェルカム!」と言われた瞬間に
輪廻廻って天国に堕ちてきたものかと思った。
すっかり調子に乗った私は空港内を散策しよう、ここにはどんな高貴な喫煙所があるのかしらん、と思ったところ散策する程国内線は広くなかった。
行ける所は全て歩いたが喫煙所が見当たらない。それに空港がなんだか汚い。
そもそも私は11時間も煙草を吸っていない。
喫煙者を舐めないでいただきたい。
なんだか私が夢見たブラジルとはほど遠い。
私は何をしに来たのかわからなくなった。
一服も許されずサルヴァドールに向けて乗り継ぐ。


最後は2,3時間も我慢すれば目的地だ。
私がどんな地獄をくぐって来たのかブラジルという国は知らないのだろう。
とはいえドリンクサービスのカゴに酒が見当たらない。
座禅の中、私に酒抜きでどう悟りを開けというのか。
永い飛行によって私は全く睡眠を欲していない。
私は全てを後悔し始めていた、、

世の中には時差というものが存在する。
私はエアチケットの時間だけを確認していた。
知人に「やっぱり飛行機って時代の進化とともにどんどん速くなってるんですね。」
などと言い散らかしていた自分をぶん殴ってやりたい。


悟りを開けず全ての私欲に精神が溢れていたがなんとかサルバドールに降り立つ。
到着口に待っていたのは語学学校の黒人である。
私はこれほどまでに漆黒の人を知人に持った事がない。
日本語は通じない。
彼の車に乗せられてから私は何処かに身を売られるのではないか、そう思い始めていた。

彼は5車線ほどの国道を車線を無視しながら信じられない速度で縦横無尽に走り始めた。
私の悪夢は終わりを見せない。
気付いた時には日付は変わっていた。